直線上に配置
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 社会人になって5年目のゴールデンウィーク中日、人気のまばらな職場で突然部長に呼ばれた僕は、「スリランカでの道路設計の仕事があるが、行ってみないか?」との話を受けた。そんな希望など一切出しておらず、英語も全く話せない僕が何故???と寝耳に水であったが、当時は仕事の面白みも見失いつつあり、何か現状を変えなければという想いだけはあったので、迷うことなく”行かせて下さい”との返事をした。

 すぐに所属していた交通運輸部から国際事業部に異動となり、一ヶ月後のスリランカ渡航の準備。持参する資料や機材の手配、読まなければ英語のドキュメント、これまで同世代に囲まれていた職場の雰囲気と違い、ほとんど年配の人ばかり。何だか訳の分からない状況であったが、未知なる世界へ行くと言うことに胸は躍っていた。
 プロジェクトは計一年半であるが、まずはとりあえず5ヶ月の滞在となる予定。親しい仲間に歓送会をしてもらい、あっと言う間に出発の日を迎えた。シンガポールでトランジットし、深夜スリランカに到着。なんじゃ、この臭いと、ムワッとする雰囲気は。空港には目のぎらぎらしたスリランカ人が屯し、ものすごい危ない雰囲気、と言うのが当時の印象である。

 今回の仕事は、日本のODAで行われる無償プロジェクトで、問題となっているコロンボの渋滞対策のための外郭環状道路の設計である。東京の首都高速のように、約30kmに渡る高速道路をスリランカ一の都市であるコロンボ郊外に建設するというもの。大プロジェクトと言うことで、オフィスに常駐するスタッフは、我が社から5,6名と他社から派遣された技術者含め合わせて日本人10名程度。さらには現地のスタッフやCADオペレーターなどを合わせると20人近くの大所帯である。僕の仕事はというと、道路設計で来ている60歳を迎える上司の作業補助、であるが、飛び抜けて年の若い僕は、言ってしまえば、全ての雑用をこなす役回りである。
 とは言え、全く言葉が分からない。スリランカ人スタッフの全員が英語を話せるのだが、”My name is Nakajima”位しか言えない僕には雑用さえも一苦労。オフィスの引越をしたり、現場に調査に行ったり、現地スタッフに図面作成の指示をしたり、とにかく苦労しながらの毎日が過ぎていった。この初めての海外生活では、とにかくいろんな出来事があって全てを書ききることができないが、特に印象に残ってるのはこんなことである。

○スリランカと言う国
 ずばり発展途上国である。生活水準は低く、物価は日本の10分の1くらいと言ったことろ。旧首都であるコロンボはワールドトレードセンターはじめ高層の外資系のオフィスビルやホテルが立ち並んでいるが、一歩路地に入れば、物乞いや道端で寝てる人がゴロゴロいる。首都はスリジャワルダナプラコーッテだが、本当に何もない。

○スリランカ人
 国民の8割が仏教徒シンハラ人、残りがイスラム教徒タミル人である。肌の色は浅黒く、ヒゲを生やしてる人も多い。ちなみに僕は彼らに負けないくらいのヒゲを生やしていたが。日本人に比べれば全く働かないが、それでも今思えばまだ勤勉な人種ではないかと思う。ただ当時は働かない彼らにイライラして、かなり喧嘩した。と言っても、喧嘩したところで相手が何言ってるかも、自分が何言ってるかもよく分からなかったけど。

○紛争
 スリランカは上記シンハラとタミルの紛争が今も続いている。停戦協定などもしているが、タミルがいる北部は危険のため立ち入り禁止である。滞在期間中選挙があり、各地で起こった暴動で何名死んだという報道が毎日されていた。特に一番印象に残っているのが、市内で昼間自爆テロが起こり、警官含め数名が死んだというニュース。現場は毎日の通勤路であり、翌日の新聞には見せしめのため、事件直後のテロ犯の生首が写っていて、吐きそうになった。
 さらに滞在中、アメリカ同時多発テロが起こり、僕が住んでいたホテルの隣がアメリカ大使館であったこともあり、翌日からホテルの前にはずらりと兵士が並んでいた。街中には検問所があり、みな銃を構えているので生きた心地がしなかった。

○食事
 主食はカレーである。スリランカ人は毎食食べてる。日本人スタッフはみな年配と言うこともありこれを敬遠していたが、僕は元気なおじさんと二人で毎日近くの食堂に行き、スリランカ人に囲まれながら、手づかみでカレーを食べていた。これが本当にうまくて、今でも忘れられない。ちなみに手で食べるにはコツが必要。そして何よりも最初はアツイ。夜はみんなで食事をすることになっていたので、日本、中華、台湾、タイ料理などを食べに行っていた。コロンボ市内にはいろんなお店があるので、食事の面で困ることはなかった。

○生活
 長期滞在者用のホテルに住んでいた。広い、と言うか広すぎて奥に誰かいるんじゃないかと不気味になるくらい。テレビはMTVなどアメリカのテレビ番組やNHKも見ることができた。キッチンも広かったが、全く自炊はしなかったので使ってない。いずれにしろ、国内で自腹であんな部屋に住むチャンスはまず無いだろう。

○友達
 スリランカ人の友人は、、、できなかった。知り合うのは同僚のみだし、仕事上での付き合いのみで衝突も多かったため、プライベートを一緒に過ごすと言うことはなかった。その代わり職場にはCADオペとしてきていたタイ人が3人いて、歳も近かったので仲良くしていた。如何せん言葉が通じなかったが、部屋にお邪魔してタイ料理をご馳走になったり、一緒にクラブに踊りに行ったりもした。
 またメーカーの社員として現地に駐在していた日本人と仲良くなった。彼は僕の少し年下だったがスリランカ滞在歴は一年近くで、海に行ったり、ご飯食べたり、週末を一緒に過ごす唯一の友人であった。

○観光
 あまりしてない。行く前は近くのモルディブとか行けちゃうのかなと淡い夢を抱いていたが、そんなのは夢だった。でもたまの週末、上司と一緒にちょっと足を伸ばして近くのリゾートに言った。ゴール、キャンディ、ヒッカドゥアなどに行ったが、どこも植民地時代の面影を残しているというくらいで、あまり印象的はなかった。ただ最後に行ったシーギリヤ、これはすごかった。内陸にある高さ200mほどの岩なのだが、500年頃に当時の王がこの上に城を築いたというのである。頂上まで道が続いているのだが、所々岩壁を梯子で行く所などもあり、恐怖でもあり、これがまたドキドキ。途中岩に書かれた壁画などを見ながら頂上にたどり着くと、そこからの眺めは圧巻。これは一見の価値である。
 他にも、スリランカ、実はかなり見どころが多いらしい。ダイビングやゴルフなどもできるらしいので、また機会があれば。

○ロマンス
 おっ。これは、というとこであるが、ない。。。ただ職場の一つ年下の秘書はとても笑顔が素敵な女性で、言葉が分からない僕にいつも笑顔で優しく話しかけてくれた。そんな彼女が別の仕事が見つかり、突然辞めると言うのを聞いた時は、すごく寂しかった。最後お別れの日は、思わず人目はばからず涙を流した。これって恋だったのだろうか。

○悩み
 数え切れない。毎日の感動以上に毎日辛かった。まずは英語。そして思うようにできない仕事。上司からの厳しい言葉。日本に置いてきた彼女との関係。孤独感。1人部屋で物に当たってたこともあった。あまりの辛さに国際電話を掛け、友達の声を聞いた時は泣きそうになった。
 でもあの経験が、自分を成長させたと思う。

 基本的に毎日仕事漬けであったが、日々新鮮なことばかりで刺激的な毎日だった。特に楽しいというイベントがあった訳ではないが、帰国した時は素晴らしい経験ができたと感じた。
 結局この仕事は地元からの反対にあい、半年で中断となり、僕は元の国内事業部に戻ることになったが、この半年の経験が今後の進路を変えたということは間違いない。
01/07/01〜01/11/30
02/01/15〜02/02/07
02/03/01〜02/03/09
コロンボ、キャンディ、シーギリヤ、ゴール

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部屋からコロンボ市街の眺め コロンボのビーチ、みんな服を着てる 海岸には大砲が
由緒ある仏教寺院 寺院内部 イスラム寺院モスク
キャンディアンダンス 日本人会による盆踊り ビーチ沿いのリゾートホテル
友人マサと スラム街の子供達 電車は扉が開きっぱなし
職場の現地女性スタッフ シーギリア頂上からの眺め コロンボ市街地